コロナで暴かれた「誰も責任もリーダーシップも取りたがらない国、日本」
小説家・黒野伸一が見たコロナ禍日本の「真の姿」
■日本の防疫が遅々として進まない根源はなにか?
ではなぜ、ニュージーランドと台湾の政策が成功したのか見てみよう。まずはニュージーランド。日本とは比べ物にならない、厳しいロックダウンを行ったが、国民は素直に従ったらしい。アーダーン首相がきめ細やかなライブ配信を通して国民に優しく語りかけ、不安を払拭したからだ。逆に台湾はロックダウンをせず、中央感染症指揮センターを立ち上げて、各省庁が連携し、防疫に臨む態勢を早期に整えた。日本の新型コロナウイルス感染症対策本部や分科会のように、何をやっているのかよく分からない組織ではなく、具体的な推進役として、防疫対策を全国規模で徹底させたのだ。二国に共通して見えるのは「何としてでも、国民の命と健康を守る」という国家の強い意志である。だから国民は政府を信頼する。
日本でぽつぽつコロナ感染者が確認され始めた頃、国会では野党議員がしゃかりきになって「桜を見る会」を糾弾していた。税金を使った支援者の接待などあってはならない話だから、追及するのは仕方ないとしても、この間、感染症対策は脇に追いやられていた。
さらに、東京高等検察庁の黒川弘務検事長の定年延長問題。政権の番人と言われた黒川氏を、時期検事総長に据える策略だと散々批判を浴びた。そして突然の安倍首相の辞任。その少し前から、首相はコロナ関連の発言をしなくなっていたから、対策がことごとく機能しないことに嫌気が差し、政権を投げ出したのではないかと散々陰口を叩かれた。辞任後に明らかになったのが、桜を見る会前夜祭の費用補填問題。安倍前首相が頑なに否定していた費用の補填を、安倍氏周辺が認めたという。しかし、責任はすべて秘書にあると強弁し、前首相本人は不起訴となった。安倍前首相の国会での数多の虚偽答弁も秘書に騙されていたからという理由で、正当化された。どう見ても、秘書に全責任をなすり付けたとしか思えないと人々は憤った。
そして管政権。管首相の長男等による、総務省幹部接待問題が浮上した。幹部らはNTTからも接待を受けていたのに「国家公務員倫理法に違反する会食はない」と強弁したため、国民の信頼は大きく損なわれた。
と、ここまで書いてウンザリしていたら「河合元法相、一転して買収認める。議員辞職を表明」なんて記事が飛び込んで来た。もういい加減にして欲しい。
もし日本でニュージーランドのような本格的ロックダウンを実施しようとしたら、必ず主権の侵害という問題が起きるだろう。政治家も官僚もまったく信用されていないので、これ以上の権力を握らせまいと、国民が躍起になるからだ。
コロナに対して、誰も責任もリーダーシップも取りたがらない国、日本。己の映り具合ばかり気にして、如何に責任を回避するかしか考えていない政治家や官僚たち。
国民は自分たちの命を本気で救おうとする国家に対しては「主権を侵害するな!」などと野暮なことを言ったりはしない。誰でも命が一番大切なことは知っている。
日本の防疫が遅々として進まないのは、政治家や官僚に覚悟がないからだ。
著者紹介
黒野伸一 (くろの・しんいち)
小説家
1959年、神奈川県生まれ。『ア・ハッピーファミリー』(小学館文庫化にあたり『坂本ミキ、14歳。』に改題)で第一回きらら文学賞を受賞し、小説家デビュー。過疎・高齢化した農村の再生を描いた『限界集落株式会社』(小学館文庫)がベストセラーとなり、2015年1月にNHKテレビドラマ化。『脱・限界集落株式会社』(小学館)、『となりの革命農家』(廣済堂出版)、『長生き競争! 』(廣済堂文庫)、『国会議員基礎テスト』(小学館)、『AIのある家族計画』(早川書房)、『グリーズランド1 消された記憶』(静山社)、『お会式の夜に』(廣済堂出版)など著書多数。最新刊が『あした、この国は崩壊する ポストコロナとMMT』(ライブ・パブリッシング)が好評発売中。」